大拙には世界中に伝えたい禅の心がありました。
禅の精神を出来るだけ多くの国へ発信する為に英語を学んだのです。英語はその時代にあっても必須のツールだったのです。
 
大拙は「8歳という年齢はコトバが音として、リズムとして体に入る境界線、もし麻耶が行ってみたいというならこんな素晴らしいことはない」と母の背中を押し、私は一人オレゴン州の小さな町へ旅立ちました。
 
父、Alan Victor Suzuki は、大拙とスコットランド貴族の娘 Beatrice Erskin Lane の間に母国語を英語として育ち数多くの翻訳を手がけ、又「東京ブギウギ」の作詞家としても知られています。
戦後スイングの女王として活躍した母も、同時期NYで新たな歌の勉強に取り組んでいました。母も国を越えた多くの人たちに歌の心を伝えたいと懸命に英語を学び、言葉の壁を乗り越えようとしていました。
 
あっという間にコトバの壁を跳び越した私は翌年夏休み9歳で一時帰国。グリーンのジャケットを肩にかけ羽田へ降り立った私は祖母を見つけ、「Hi Grammy、I missed you !」とほっぺにキスをしたとか。「たったの1年でうちの孫はアメリカの子になってしまった、、、」と祖母は涙が止まらなかったそうです。
その数年後、帰国した私はASA(American School in Japan) へ編入、音大付属から大学へ進み声楽とピアノを専攻しました。 そしていずみたくシンガーズの一員となり短い間でしたが芸能界にも身をおきましたが興味は次第にアートに移り、20代後半から森哲美氏に師事。1990年、ついに現代陶芸のギャラリー、”Majart Gallery” をアメリカ、ポートランドにオープンしました。その後思いがけず英語教育にかかわることになるのですが。
 
60歳はfull circle, one round, です。これからは未来を生きる子どもたちへの恵まれていた私の恩返しです。
 
音楽に生まれ、アートで成長した私がどうしても作りたい子どもたちのクラス。MONOクラスー “えいごでものづくり”は私のエピローグです。
脳がスポンジのように柔軟に吸収する
1、2、3歳の子どもたちにはPRA
Phonics + Rythmics + Art のプログラムを。
Phonics = 英語を読む(発音する)ときの音声学。英語ネイティブの国で最初に学習するアルファベットの発音ルール。
Rythmics = 音(言葉のリズム)を体で感じとるリズム法Art = 色、形、自然や音楽から想像する心
 
4歳~8歳までは、子どもたちの好奇心や想像力を引き出すMONO作りのクラスを、手や指、道具の使い方を学びながら葉山の自然あふれるアトリエで五感を刺激しながら進めます。